黒沢健一 DI:GA掲載アーカイブ ~Banding Together~ 第8回

スペシャル | 2017.03.08 12:00

黒沢健一

ちょっぴりシャイで、いつもあたたかな柔らかい笑顔で、時に少年のように、そして真摯に、たゆまぬ音楽への愛情を言葉にしてくださった黒沢さん。
DI:GAに遺してくださったそんな宝物のような言葉を、取材をして下さったライターさんによる新たな寄稿と共にお届けしています。
今回は、黒沢画伯によるイラストです。DI:GA表紙用と、MUSIC PARTY会報用の4コマ漫画。献花の会でもたくさんのユニークなイラストが飾られていましたが、水彩バージョンは貴重な作品なのかもしれないですね。作画に寄せられた、思わずクスッと笑ってしまうような、ご本人コメントも再録します。
黒沢健一マネージャー、インターブレンドの江口譲二さんによる特別寄稿と共にお届けします。
オフィシャルサイトで公開中の黒沢さんとの「アメリカ旅日記」も併せて是非ご覧ください。

-ディスクガレージ DI:GA編集部-

掲載イラストはこちら

黒沢健一 DI:GA 205号(2012年11月号)表紙イラスト DI:GA 79号 2002年5月号 表紙イラスト
 
掲載時に寄せられたコメント
以前にスタッフからバンドのアルバムカヴァーの為に絵を描けという命令を受けて、これは一大事だと思い、絵の具やら筆やら色々な物を買い込んだものの、結局採用されなかったのがファックスのウラに描いたラクガキの様なものだったので、今回その思いを晴らすべく水彩で何枚か描いてみたところ、またまた採用されたのは試しに描いたラクガキでした。結局マジに描くとだめなのですね。よ~く分かりました。(黒沢健一)


黒沢健一 DI:GA 205号(2012年11月号) MUSIC PARTY会報 2011年10月号掲載 4コマ漫画



翌日はもうお通夜のため、黒沢宅で黒沢君の姿を見れるのが今夜で最後。何事も無かったのかのように穏やかな表情で眠る黒沢君と既に3日過ごした僕は、最後の夜には来る人みんなに飲まされ…いや、自分から飲んでと言うのが正解…完全に酔っ払ってました。秀樹君は茨城の実家に戻ったので、24時回って最後の夜に残っていたのは、茂サン、音響の舩橋さん、モニターマンの橋本君、ベース山口君、そしてチェロの原口さんとビオラの亀田さん、あとうちの女性社員2人。みんなで出来たてホヤホヤのL⇔Rの武道館のDVDを見ながら…ここにいる全員、ソロ以降の関係者なので、テレビには若くてちょっとかっこつけてる知らない黒沢君が写っています。不思議な感じです。。。

僕は単純に黒沢健一のファンです。L⇔Rでは無く、ソロになってからの黒沢健一ファンです。お仕事的には、たぶん2nd Album『B』 のツアーから担当になったと思います。2001年の春くらい。まだマネージメントのお仕事ではありません。
仕事内容はライブのブッキング、券売・宣伝管理、リハーサル管理、行程宿泊管理、スタッフ・ミュージシャン管理、舞台監督、制作費管理。で、3rd Album 『NEW VOICES』のツアーで一旦お仕事休止。当時のマネジメント会社 r.p.m発注のお仕事だったので、ソロ以外のお仕事には呼ばれず。

4枚目のアルバム 『FOCUS』のツアーからお仕事再開。精神的にも趣向的にも黒沢君と近くなっていったのはこのあたりからだったのかなぁ。このアルバムの1曲目「Grow」に僕はいきなりノックアウトされました。FOCUSツアーとは別にこの曲をこのまま再現できる場を設けたいと言うことでストリングスセッションを提案したのを覚えています。そう、何を言いたいかというと、僕の黒沢ライブ現場で特に記憶に残る3つの内の1つがこのストリングスセッションなのです。
「Grow」のアレンジはCDそのままなので、ストリングスセッションによる意外性は無いけれども、生演奏によるその美しさたるや…特に際だっていました。そしてその他の曲のアレンジもあまりに秀逸で…Keyboard遠山さんの鬼才爆発でしたね。もうスタジオで鳥肌立ちまくりです。遠山さんは曲中で何度もリズムが変わりテンポも変わるのでストリングスの皆さんが対応出来るかずっと心配してましたが、スタジオに入って皆で音を出すと、そんな心配はどこへやら。相当レベルの高い演奏に黒沢君も触発され、どんどんクオリティーの高い物に。

リスナーの皆さんもそうでしょうけど、僕も音を聞いていると絵が浮かぶんですよ。ロンドンの景色、広い緑の草原、空、窓の向こうの雨…でも舞台でクッキリハッキリ見えたら興ざめです。なので、わざとわかりにくくなる和紙っぽくまだらになってる白い幕を大きな窓枠にはめて、そこにビッグベンやアンダーグランドの看板・虹などをプロジェクションする演出をしました。気付いた人だけニヤッとする感じです。それら雰囲気物と区別するため「September Rain」などは作品と呼べるMVがあったので額縁に入れたスクリーンに投影しました。Doubtくんもスクリーンの中で踊ってましたね。あれも作品の範疇でした(笑)

2009年12月5日、7年後に黒沢君が亡くなってしまうこの日が東京グローブ座での初めての公演。ストリングスセッションを含むツアーの追加公演であり、ツアーファイナルの日。
ダブルアンコールの拍手がやまない中、楽屋に黒沢君と遠山さんを呼びに行き、舞台袖で10秒で結論。
 
僕:どうする?何やる?
黒沢君:「God Only Knows」やりたい。
遠山さん:いいね〜
僕:OK!じゃ、PAオフって生声生ピアノでやろう!
黒沢君:OK! いいですね〜。
僕:照明キュー出すから明るくなったらステージ入って〜。
 
僕はこの日のライブを忘れません。そう一生忘れることは無いです。

黒沢健一 マネージャー
インターブレンド 江口譲二

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