ハロー、僕はここにいるよ~黒沢健一に寄せて

2016.12.1516:00

  • LINEで送る

先週、お台場で10年近く僕が店長でイベントプロデューサーをやってるイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」(以下、愛称のカルカル)を渋谷に拡大移転オープンさせた。
移転したカルカルを一番最初に見せたかった人は、カルカルの一番古いレギュラー出演者で、友人でもあった黒沢健一だった。

黒沢健一は天性の才能とセンスを持つ稀代のミュージシャンだった。
L⇔R(エルアール)で91年デビューし、ミリオンセラーとなった「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」や数々の優れたポップナンバーで高い評価を得て、武道館も満員にするほどの人気バンドとなった。
97年L⇔R活動休止後、ソロや数々のバンドやユニットで精力的に活動し続け、去年もベストアルバムをリリースしライブツアーを行っていた。

僕と健一くんとの出会いはもう15年くらい前。僕の前職の新宿ロフトプラスワンで、音楽評論家の萩原健太さんと、奥さんで同じく音楽評論家の能地祐子さんプロデュースによるイベントCRT(カントリー・ロッキン・トラスト)を僕が担当していて、そこにゲストでよく健一くんが出るようになったのがキッカケだった。
ファンが殺到するのでマル秘ゲストとして健一くんは出演する事が多かったが、本人も楽しかったのだろう、よく出てくれていたので、同じくポールが好きな僕もよく話しをすようになり次第に仲良くなっていった。

その後ぼくは今の会社に転職し、2007年お台場にカルカルをオープンさせた。
僕がロフトで担当していた何人かのイベントの出演者の方々にカルカルへの出演を交渉したが「お台場は遠くてお客さんが集まらない」と、ことごとく断られまくり、僕はヘコんでいた。
そんな中、二つ返事ですぐ「やろう!」と言ってくれたのが健一くんだった。
健一くんはいつも「海外のパブみたいにお客さんがお酒飲んだりご飯食べたりしてる中でふとステージでミュージシャンが弾き語りを始め、それをみんなそれぞれ自由気ままに観てるみたいな雰囲気が好き」と言っていた。そして「そのイメージにカルカルはピッタリだったからすぐやりたいと思った」と言ってくれた。
でも、イベントがあまり決まらなくて落ち込んでる僕を応援しようとして、やろうと言ってくれてる健一くんのやさしい気持ちがかなり入ってる事はすぐにわかった。僕はそれが涙が出るくらい嬉しかった。

そして健一くんのギターとサポートのキーボーディストの遠山裕さん二人だけによるアコースティックライブ「SEAT AND MUSIC」は2007年末の12月に始まった。
「始まった」と書いたのは、その「SEAT AND MUSIC」は健一くんもホントに楽しでくれていて、それからカルカル年末の恒例ライブとなり、毎年末に開催し8年も続いていたからだ。
ライブは二人のみのシンプル極まりないセットながらも、毎年圧巻のパフォーマンスを披露してくれた。そして僕らはその夜だけの健一くんやL⇔Rの曲のタイトルを使った特別なカクテルや料理メニューを作り、健一くんもそれを見て毎年喜んでくれた。


そんな健一くんのカルカルでのライブは、カルカルが120人くらいしか入らない上に、健一くんはそんなに頻繁にライブをやるアーティストではなかったので、毎年プレミアライブとなってしまい、いつも申し込みが1000人を超える程のチケット争奪戦となっていた。
なので、いくらでももっと大きな会場に変えてできるライブイベントだったのに、健一くんは毎年末のカルカルライブだけはやめずに8年も続けてくれた。だから健一くんもファンも、そして僕も、その年に何があっても「年末はカルカルで健一くんに会える」と毎年思っていた。僕も毎年12月になり、健一くんのライブの日になると、健一くんと楽屋で色んなお互いの話をするのが楽しみで、そしてライブ終了後、健一くんが帰る時に店の出口で「じゃあまた来年!」と約束のかたい握手を交わすのが僕達ふたりの恒例行事だった。

去年の末頃。健一くんのマネージャーさんから電話で「健一くんの体調が少し悪く、今年のカルカルライブは一度休ませてほしい」と連絡がきた。
ここまでその思い入れを沢山書いてる通り、8年も続くカルカルで最も歴史あるイベントだったので本当に残念に思ったが、まあこれは仕方ないので、「健一くんに気長に待ってるんでまた来年戻ってきてね、とお伝え下さい。」とその時はまたすぐ戻ってくるだろうと、ホントに軽い気持ちで答え電話を切った。

そして年が明け、同じくカルカルで毎年新年にレギュラーでライブイベントをやってくださっている健一くんの一番の旧友でもありMOTORWORKSというバンドも一緒にやってる石田ショーキチさんにカルカルで「健一くん少し調子悪いみたいだね。」と何気に言った時、ショーキチさんが息を詰まらせ少し目をにじませ凄くシビアで悲しい表情になった時、「あれっ?なんかおかしいぞ。」と、僕は何かに気付いた。

それからしばらくして、健一くんの病気が脳腫瘍で、状況もあまりよくないという事を初めて知った。
頭が真っ白になった。
それからすぐにカルカルの渋谷移転は正式決定した。
「渋谷に移転するかも知れない」という事を一番最初に伝え、相談していたのは健一くんだった。

それから僕は考え方を変えた。
健一くんがいつでも戻ってこれる店を作ろうと決めた。
とてもいいスピーカーを入れ、一般店舗だった移転先の業態をかなり無理を言って飲食店に変更してもらい、今までのカルカルと同じように健一くんが好きなお客さん達が飲んだりしながら気軽にステージを楽しめる店にした。
そして店は無事完成した。関係者お披露目の時に健一くんのマネージャーさんも来てくれた。「健一くんが喜びそうな店ができましたね」と言ってくれた。僕は凄い嬉しくて「早く健一くんに見せたいです!」と子供のようにはしゃぎ、早く会いたい気持ちを伝えた。
そして先日。無事渋谷カルカルのオープンを迎えた日の朝。健一くんが亡くなった事を知った。
こんな事があるのかと思った。
またたく間に健一くん訃報のニュースがネットに溢れ出した。
僕はスマホとPCの電源をすべて切った。オープンイベントが終わるまでは一切何も考えない事にした。
オープンイベントが無事成功し、自宅に帰り、ふとつけたテレビから健一くんが亡くなったニュースとその歌声が流れた。
「ああ、もう会えないんだ。」そうやっと気付いた。
緊張の糸が切れ、涙が止まらなくなった。声を上げて泣き続けた。

健一くんとの「もう一度カルカルのステージへ」という約束も、一番見せたかった新しいカルカルを見せるという夢も、果たせなかった。

でも。あれから新しいカルカルにいる度に、ふと健一くんがそこにいるような不思議な気分になる時が何度かあった。こんな気持ちは初めてで、なんかとてもあたたかい、本当に不思議な感じだった。
健一くんはもういないけど、健一くんはその素晴らしい楽曲達と一緒に、きっとその魂もファンや仲間のとこに少しずつ置いてってくれたんだろう。

僕も、ファンのみんなも、これからまた、ふとした瞬間に君の事を想うだろう。
その時、もし不思議なあたたかい気持ちを不意に感じとる事があったら、そこに黒沢健一は本当にいる。
あのはにかんだ笑顔で「ハロー、僕はここにいるよ」と、これからもいつでもそばにいる事をきっと教えてくれる。

写真提供:東京カルチャーカルチャー

横山シンスケ

49歳。お台場から渋谷移転したイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」店長・プロデューサー。その前10年間くらい新宿ロフトプラスワンのプロデューサーや店長。東京カルチャーカルチャー:http://tcc.nifty.com/
横山シンスケ ツイッター:https://twitter.com/shinsuke4586